日本GP決勝を

テレビで見ているんだが。


今まで書いてこなかったけど、今年からのホンダ4期、酷いっすね。
周回毎にジリジリ詰められて、ストレートで抜かれまくられるって、どう見たってエンジンの出来の悪さが原因でしょうよ。
そんで、この成績の酷さとチーム代表の物言い(特にレース前とレース後の発言の落差)を見るにつけ、あー、これは現在進行形で没落しつつある日本の何がしかを象徴しておるなぁ、と。


つまり、現実に起こってる物事(エンジンが不出来であるとか)を認めることが出来ず、と言うより、スルーする事が自然な事とされ、あまつさえレース前には希望的観測どころかファンタジーに近いステートメントが出る、と。
コリャかつての、戦果が「大敗」であるのを「転進」と言い換えたあの時代と何か違いがあるのかね。


ホンでそれは、俺なんかが仕事や何かで見聞きするアレコレと、同じ線上に繋がってる気がするんだよね。
度し難い官僚主義的な何かが、俺らの日常生活の細部にまで蔓延っているんじゃないかな。
昔日の大本営ソ連やその他諸々の破綻国家と同じモノが目の前にある、と。




まぁ、(酒は入ってないが)いちオッサンの印象論でしかないけれど、この持論にある程度の確信を持っているのは、ネット上では既にトピックになっている、
アロンソ:「GP2、、、GP2エンジン!、、、ウガーッ!!」
って件を、ついさっきBS放送でアナウンサーも右京も「…、、、チョッとなんて言ったか分からないですが、エンジンの調子悪いのでしょうか?」なんてスッ惚けた所にある。
あんなもん、俺でさえ聞き取れたのに、浜島氏、右京氏も聞き取れないはずが無い。
そこを、それこそspontaneousにスッ惚ける。
で、それがこの地においては“自然”である事を“みんな”が共有しているところが、救いが無いのである。




もう一つ言っておくと、そう言ったドメスティックな行動原理だが、俺らが「ホンダはアカンなぁ」なんて嘆くだけなら別にいいんだよ。
大問題なのは、そういった内輪の論理による敗退が、マクラーレンというF1随一のチームに、成績面だけでなく金銭的に、そして何よりコーポレートイメージと言う金で買えないものに大損害を与えている、って事だよ。
ホンダがアカン、ってのは日本のネットで見掛けるのは珍しくは無いけど、マクラーレンに損害を与えているって視点は殆ど見かけないのだがどうであろうか。みんな気が付いていないんじゃないかな。


何もそれで「迷惑を掛けて申し訳ない」といった俺らが良くするマナーの問題に矮小化したいのではない。
そういった、内輪の論理で外国(しかもアングロサクソン)の人等を誤魔化し続けたらどうなると思う?
まぁ、スパッと“切られ”て、二度と“F1村”というより、その裏に確実にあるヨーロッパの貴族社会で相手にされなくなるだろうな。で、そうなれば1、2世代はそういった「輪」の端っこにでも参加するのは難しくなるんじゃないか。*1


んで、それを避けるには、まず現実に起こっている事を「そのまま認める」事から始めないとイカンだろうな。
で、それを率直に口にして、後は真面目に問題点に対応するしかないでしょうよ。




とまぁ、悲観的な事を色々書いてきたんだが、俺自身は、問題点に対応する段階まで辿り着けたら、所謂日本人は十分以上に能力を発揮すると思っている。
けど、その前段階がオオゴトで、それは俺たち「日本人が、日本人である限り」きわめて難しいのだろうな、と、そんな風に思っている。

*1:まぁ、不当な程の持参金を差し出したりしたら可能かも知んないけど。