esがですね。

発売されて暫く経つんですが。
チョッと前までは、使い易さが劇的に向上しそうな、ATOK、メールアプリ、項目別にバックアップできる新パックアップソフトに対して物欲が掻き立てられたのですが。


でも、チョッと経ってみると「わざわざ乗り換えるほどではないよなぁ」と思い始めて、その物欲はK100Dにそのままスライドしたんですね。


で、なんで、ブログやらでこんだけ[es]が話題になってるのに、自分は醒めてるんだろう、と。デザイン上の弱点など分っているのに、我慢出来ずに買った我が「初代W-ZERO3」の時とは全然惹かれ方が違うよなぁ、と。




初代W-ZERO3に対する[es]の魅力ってのは、乱暴に纏めると、

  • ソフト群が使いやすくなった
  • ハードウェアが「ケータイ」寄りになった

という2点なんだろうな、と。
で、自分の場合はソフトについては、WS003SHにもアップデータを提供してくれるなら、使い心地がよくなって「プラス」評価だけども、無いとしても、現状のWS003SHの魅力が減るわけでもない、「マイナス」にはならない、という事だな、と。
でも、「ケータイ寄り」なハードウェアには、魅力を感じていないどころか、マイナス評価を与えてるんだろうなぁ、と。


つか、ケータイ的なモノを求めるなら、W310Kでもいいし、FOMAAUでも良いんじゃないか、と。それぞれ、スケジューラやらそこそこ使える感じらしいし、なによりハードウェアのレスポンスはWM5機とは段違いに速いみたいだし。


WS003SHを買ったのは、そこに「何か新しいもの」「ネットとの付き合い方を変えるもの」を期待しての事だし、そして実際にそうだった、と。
今までに無いもの、が自分の前に現れた、と。
しかし[es]ってのは、使い勝手は良くなってるけども、それは「洗練」だし「延長線上にある何か」である、と。ハードウェアに関しては「今までにあった物によく似たもの」でしかない、と。




ま、そんな考え方だから、とあるIT情報系のサイトで、WS003SHに関して「こんなにケータイと使い勝手が違う!我慢できない!こんな大きな筐体で電話掛ける姿なんて想像できない!」なんて評が出た時には、逆に「なんでこんなに許容範囲が狭いんかなぁ」と思ったな。
従来と同じパッケージングの筐体に、従来と同じ使い勝手の製品って、「今までにもあった何か」でしかない訳で、それって、こういう「従来に無かったターゲット」を狙った製品に対する評価としては自己矛盾しているんで無いかと。
こういう評を書いてしまうのってマスコミというかジャーナリストというか編集者としてどうなんだろ、とまで思っていたしね。


あと、現在の「ケータイ的な何か」なんて、10年位しか歴史が無い訳だ。
だもんで、「ケータイ的」なものから外れてるって言っても、情報端末の世界ってハードウェア、サービス共に日々進化している訳だから、それはもう10年もすれば影も形も無いかもしれない。もしかしたら「WS003SH的な何か」が未来の情報端末というか携帯電話のスタンダードになってるかもしれない。
つか、自分としてはそうなって欲しい、と。




だから、[es]に対して興味が湧かないんだろうなぁ、と。


あ、だけど、[es]に搭載された、使い勝手を劇的に向上させるソフト群を含んだアップデーターは猛烈に欲しいです、シャープさん。有償でも良いから、ナントカならないですかねぇ。(;´Д`)