CSで

ケルベロス」と「人狼」やってたんで見てみた。



ケルベロスはなぁ…。
まぁ、アニメでやったら自分としてはもう少し見応えのある作品になったような気がする。「起承転結」の「転」までが、時間的とかでなく、お話の流れの中で占める比率が高くなってる気がした。「起承」までのゆっくりけだるい、登場人物たちが作劇としてもお話の中の状況としても、目標喪失して探している感じから、「転結」のアクションが入って、目標がセットアップされた部分のお話をもっと見せた方が良いよね、と。
同時放映で、スカイクロラの宣伝を兼ねているのであろう、番組特典で押井守監督のインタビューやってたんだけど、そこで「所謂『盛り上げる』演出はしていないから…」みたいな発言もあるんで、そこはわざとなのかも知んないけど。




ただ、アニメと違って実写の、特に低予算のロケ作品って、カットの長さが思うようにコントロールできないんで、そこでなんか間延びした感じの映像になってしまうのかなぁ、とか思ったり。逆にアクションカットは手間が掛けられないから短めになったり、とかなんじゃないかと邪推。 
ハリウッドみたいに管理の行き届いた現場ならまだしも、低予算の現場では余計にコントロールが出来ないし、コントロールの効かなさをカットを割ることで解決しようとすると今度は撮影カットが増える、つまり段取りが増える事になって、余計に困難になるんではないかと思う。


ケルベロスの前半で主人公が軽自動車を買って旅に出発するってカットがあるんだけど、それが典型かな。というのも、遠景のカットで、
主人公、中古屋の親父に金を渡す→中古車の看板外す→エンジン掛ける→道路に出る→行きかう車が途切れるのを待って→カメラ奥へと主人公の乗った車が小さくなっていく
ってカットなんだけど、いかにも長い。
じゃあ単純に切れるのかというと、お話の説明って意味からも切れそうにないなぁ、と。
カットで割るのか?金渡すカット、車が小さくなっていくカット、くらいの所で割れると思うけど、そのためにカメラ移動して、段取りが2カット分増える事になるからなぁ、えらい手間が増えるよね、と。


そこらへんが、『アバロン』後の実写作品とか、その前の『ガルム』とかで、「デジタルで役者の演技さえもコントロールするんだ!」みたいな話と繋がっていくのかな、と。




人狼」は押井守脚本、沖浦監督作品だけど、こっちはまぁ、映画の作り、としては完璧ですなぁ、と。
あとはアニメの好き嫌い、ああいう絵柄の好き嫌い、題材の好き嫌い、世にある「組織」っヤツのままならなさ加減を知ってるかどうか、って所でその人にとって良い作品かどうかが分かれると思うんで、そうなるとまぁ、良い出来、悪い出来でない「好き嫌い」の問題だよね、と。




まぁ、そんなとこかと。
あとはインタビューで出てたスカイクロラがどんな出来になるか、興味深いなぁ、と。