なんかさぁ、

ここ数日、アルファだかなんだかのブロガーさん達がマッチョだウィンプだと盛り上がってたみたいなんだが。
なんか目に入ってしまったので、書いてみる。


まぁ、読んでて俺が一番みっともないなぁ、と思ったのはだ、こういう比較的裕福だったり明日も来年もその先も職にありつけているであろう人らが、色々世知辛いご時世に「傷んでる人」とかネットに多くいるであろう「名無しな傷んでる人」に向かってだ、「んなものは自己責任だろ。お前の今の悲惨な状況は、自分が原因だろ。ワリーのはおまえ自身だろうが」と、凹んでる人に向かって、更に凹ます様な事言ってるとこだな。
うつ状態の人に「甘えてる」なんて言葉を投げるのと変わらんのと違うかと。
いじめを「いじめられる方に原因があるんだよね」みたいなこと言うみたいなもんかと。




んでチョッと考えてみたんだが、コんところ世間で流布している、所謂「自己責任」って言葉って実は意味の無い言葉だよなぁ、と。



この言葉って、今自身に起こってる出来事全ては、自身の行動の結果であるという文脈で使われる言葉なんだろうけど、確かにこの世にオギャアと生まれて以降に自身に起こる出来事は、必ず一部は自身の行動の結果だよね、と。つか、自身に全くの責任が無い出来事なんてありえるのか?
人生に起こる出来事で、自身の責任がゼロなんて事は有得んだろ、と。
例え、雷に打たれて死んだり怪我したりしても、「その時その場に立っていたのはお前の自己責任」という事も出来るし、強盗に押し入れられても「鍵を2つでなく3つ付けるべきだった」と自己責任に出来るわなぁ、と。



けど、そういう風な「自己責任」て言葉の使い方って意味が消失してるんでね?と。
「赤は赤色」って言ってるようなもんでさ。
この世に自己の責任から逃れられる人間なんて一人もいない、てな所で、「それは自己責任」なんて詰問しても何も始まらんだろ、と。



またこの使い方のタチが悪いのがさ、ある人が何か困ったこととか傷ついたとか所謂「ネガ」な事、そういう事を言った途端、その人に「ソレはあんたの自己責任」とマジックワードを投げかけて、即「負け」に追い込んだり「潰して」しまえる事だね。
てことはだ、「ネガ」な事言った時点で「負け」って事だな、物事の背景などとは一切関係無しに。
更に言えば、「こういう事って理不尽じゃね?」とかの「プロテストする」って行為を全て、負けとか切り捨てる事も出来るヨなぁ、と。議論てやつが出来なくなるじゃん、と。



もひとつ、上に書いた事の裏返しだけど、現状で「上手くやってる人」には、「自己責任」て物凄く「気持ちのいい」言葉なんだろうな、と。
「オレの金銭的、人脈的、物質的成功は全て「自己責任」だぁ」みたいな。
いや、そらそうでしょう、と。でもそれ、意味消失してるし、みたいな。
不満を口にしない限り「負け」は無いってのも美味しいな。上手くいってるからこそ生活上での「不満」も少ないだろうしなぁ。
また「プロテスト」した時点で「負け」な訳だから、この言葉の使い手が「現状追認」ってやつに淫するのも、仕組みとしては理解できるな。

ビル・ゲイツ?10兆円にも満たない小銭でみんなが救えるとでも?

と、あのゲイツの「いや、少しは善い事もしたいじゃん」という行動さえも嘲笑うのも、なるほどな、と。




ここまで考えてみるに、「自己責任」って意味の無い言葉を振りかざす物言い自体、ひどくネガというか後ろ向きなものだよね、と。
弱ってる人を凹ます位の効果しかない言葉を投げかける暇あったら、まぁ取敢えず( ゚д゚)_旦~ オチャノメ、場所と時間を変えればまた立ち上がれるさ、みたいな言葉に行数掛けるべきじゃなかろか、と。
相手のネガを詰問する物言い自体が非生産的でネガとは、いい具合にメタだな、と。




てな訳で、俺的には「自己責任」って意味消失している言葉は議論なんかするうえではNGワードものだな、と。そんな風に思ったな、と。



追記:
ところで「自己責任」って言葉というか、今日での使われ方ってさ、数年前にイラクで日本人が人質に取られた頃から流布してると思うんだけど。
その時政府がアンオフィシャルに「自己責任」を連発していたってのは、上で考察した事を合わせると、「あ、そうか、「自己責任」を詰るってのは、「当方には責任はございません」ということを言いたかったんだな」と今になって思ったり。
ああ、如何にも我が国の高級官僚が考えそうな言い回しと言うか、詭弁術だなぁ、と。