アクセスコントロール周辺

id:yukattiさんからTBがありまして。色々読む必要があったので、1日置きまして。
で、一応リンク先は一通り読んどきました。*1



まぁ、現状認識とかに関しては、大方語りつくされていて、私も何か変更しなければならない事柄とかは無いのかな、と。



で、

「ユーザーにとって」と仰るのは、yukattiさんが、yukattiさんのセンスだけで推し量っているだけではないかと。

という部分については、こちらの言葉足らずでした。
「アクセスコントロールを要望してるのはyukattiさんだけだ!」
という意味ではなく、
「(全)「ユーザーにとって」というのは言い過ぎなん違うの」
という事で。
で、yukattiさんが書いたところの「ユーザーにとって」は、実は「アクセス・コントロールを求めるユーザがいる」
という意味だった、という事で。



そんな訳で、ベースになる現状認識の部分は殆ど相違がないんじゃないか、と。



で、アクセスコントロールが欲しい、欲しくないってのは、センスの問題で変わりは無いのかな、と。



自分なんかは
「あー、そら、そういう機能が欲しい人にとっては便利にはなるんだろうけど、なんか、目の前のTextに裏面があるかもしれないシステムってのは、自分には「カッコ悪い」*2んで使いたくないなぁ」
と思うし、
「いや、なに言ってんですか、「裏表」なんて日常じゃないですか。アクセスコントロール、便利じゃないですか、違いますか。要望出してる人もこんなにいますよ」
という訳なんだけど、
「うん、だから、それは自分には「かっこ悪く」見えるんだけど」
という。



で、まぁ、自分みたいに「便利さ」より「かっこよさ」を優先したい*3、なんてのは、「何を採るか」というセンスの問題で、自分がアレヤコレヤ言ってもはじまらないので、「はてな」の決定をみてダイアリーの使い心地が悪ければ他に移るなり、なんなりすれば良いのかと。
まぁ、そう思っていて。



という事で、議論としては決着しているのかな、と。



で、以下は議論でなくて、表明なんですけど。



自分がアクセスコントロールの類に感じる「カッコ悪さ」って「読み手に閲覧制限を明示しない」って事かな、と。



「プライベートやグループ設定にする」というのは、「当該部分は読めない」という意味においてはアクセスコントロールと同じなんだけど、違う点は、アクセス権のない人間には「ここから先があるんだけど、皆さんには見せられません」て明示されてる訳で。
紹介頂いたタームを使うならば、閲覧不可があったとしても、閲覧不可があること自体、「日記人格」を読み取る材料の一つとして眺められるんですね、自分には。



だけど、エントリ毎にアクセス権を設定して、どの深さまでアクセスレベルがあるかも表示されない、ってのは自分にとっては「日記人格、読み取れねーじゃん」と。
あるいは、目の前の「日記人格」に信用が置けなくなる、って感じかな。



また、「文は人なり」にも触れておくと、あれでしょうか、yukattiさんから見て、当該エントリを紹介いただいたって事は、自分は「文は人なり」な読み方をするんではないか、という感じでしょうか?
自分は「文は人なり」の「人」に関しては、とくにネットに散らばるTextに関して言えば、全く興味ない、というか「要らんです、そんなの」と。「文は文」でしかなくて、日記だろうが基本的にはフィクションだと。で、自分も「世間」とかそういうのとは別なフィクションに生きたくてダイアリーつけてるんだろうな、と*4
「文章から見える分だけで良いんです!」と。
だから「違う「場」で別人格であってもOK」という。



付け加えれば「「裏表があって、それが目に見えない」日常がネットにまで!」という。



まぁ、だから、肝心要の「文章」に「マスクがかかってたとしても気が付かない」って仕組みは「カッコ悪い」というか「 工エエェェ(´д`)ェェエエ工工、なんだかなぁ」という感じでしょうか。

*1:ウェブログの心理学』については購入していないので読んでません

*2:あえて「カッコ悪い」なんて言葉を使っています、ハイ。

*3:自分の他にどの位そんな人間が「はてなダイアリー」内にいるのか調べられないし、調べようとも思わない。

*4:だからといって嘘を書いている訳じゃ無いですが。