「パプリカ」を

観に行った。


お約束で、まず、前提として。
自分は、コンテとか演出とか編集とかに関心がある人間だ、と。
だもんで、映画、アトラクション、ゲームとかの所謂「エンタテイメント」を楽しむときに常に「コレを演出した人の意図は何か」というのを意識してしまう癖がある。
という事で。



で、見た感想は、短く言うと、
「まぁ、面白いし、映像的には「今敏節」で素晴しいなぁ、と。それだけで、入場料分の価値はあるな。
ただ、自分は原作を読んでないのだけど、ノベルの映画化ゆえの弱点があるんでないかな。」
と。


パーフェクトブルー」「千年女優*1でも明らかなように、意表を突く、しかし流れるようなカットの繋ぎ。また、「夢の世界」を表す不条理な映像は正に「今敏節」ですね。
動画もそうですが、特に背景美術のリアリティを追求した「光」の表現。
安定し、かつトリッキーでもあるレイアウト。
私ごときの人間がどうこう言う隙は無いです、ハイ。
キャラの「仕草」の演技も良いなぁ、劇場作品だなぁ、と。
あと、「あ、キューブリック…(;´∀`)」なカットとか。セルフパロディとか。そういう遊びもあって。




だけども、上に書いたように、原作を読んでないので、確かな事は言えないのだけども、作品全体のテンポがイマイチな感じが。
ウルトラバイオレット」みたいに元から駄目、ってな訳では勿論なくて、原作があり、原作を尊重するゆえ、映画としてのテンポが悪くなってるんではないかな、と。
中盤からクライマックスへの引っ張り上げが弱い感じと言うか、散漫になってる気がするなぁ、と。


クライマックスで、並行して2、3本の「筋」が走ってる感じで、その「筋」もウェートの置き方の差が小さいのではないかと。
「刑事の筋」、物語り全体の悪役との「対決の筋」、「ヒロイン自身の内面の筋」の3本は少なくともあるように思える。
物語の広げた風呂敷を畳む、と言う意味では「対決の筋」を優先するべきなのだけども、いかんせん「夢」に関する物語なので、解決が抽象的で、シンプルな「腑に落ちる」オチになり難いのが「難しいなぁ」と。
「刑事の筋」「ヒロインの筋」もキャラクターを動かす「動機」を内包しているのでおざなりには出来ないし、描く以上はどうしてもインパクトを持ってしまうので、「対決の筋」とのバランスが難しいなぁ、と。
あと、「ヒロインの筋」は唐突な部分もあるな、と。




で、これは小説なんかでは章を分けたりする事が出来るし、時間の流れは読者のコントロールなので、読者を飽きさせずに丁寧に書き込む事が出来れば、メリットになりこそすれ、デメリットにはならないのだろうな、と。
しかし、一定の時間尺とテンポを観客に強制する映像作品は、ソレは難しいだろうな、と。


という訳で、もう少し、クライマックスへの引き上げとヌケのよさがあったらなぁ、と、そんな風に自分は思いました。




でも、「パプリカ」の映画化って、ホント大変だったんじゃないのかなぁ。
穿った見方すれば、「対決の筋」の抽象性故の「弱さ」をキャラクターの「刑事の筋」「ヒロインの筋」で支えようとしたのか?とか思ったり。


そこら辺は、同じ原作者の原作モノとは言え、この夏の「時かけ」が原作を「ベース」として組み立てているのとは同等に比べられないな、と。


そうだ、「比べる」と言う事で言えば、「ハイテクで夢に侵入」や「夢なのか現実なのかわからない」や「人形の大名行列」や「紙ふぶき」や「ヒロインが夢にダイブ」など、どうしても「攻殻」というか「イノセンス」を髣髴とさせずにはおれない所も、「ああ、パプリカって厳しい戦いを強いられるんだなぁ」と。
いやいや、あのキャラに大塚明夫を配するって、ひょっとして狙っているのか?山寺宏一まで出てくるし。
「もう、こういう映像になってしまうんだし…」って事で。
粉川刑事は最後にはフラれてしまうしね。



取敢えず、こんなトコで。

*1:「東京ゴッドファーザー」はCSで斜め見しかしてない。