船の科学館が、

この九月末で休館という事らしくて、ZUN氏からお誘いがあったので、自転車でプラプラしがてら見に行った。
やー、建物の前は何回となく通り過ぎているし、羊蹄丸や宗谷は間近で見たことあるけど、中は入った事無かったから、いい機会だという事で。

  • 科学館の前に立つと、やー、見事なほどに「ふね」ですなぁ、と。
  • 館の入り口の前に、双胴船の試験船やら、超伝導推進の心臓部やらが置いてあったり。
  • エントランスを入ると、なんかこう、どう評価して良いか分らないシャンデリアにツルピカの床壁のロビーが。科学館?博物館?どうもイメージが…。
  • 私の下衆い見方から「あー、あの(元)会長だったら、こんな感じかも」とか勝手に思ったり。
  • しかし、展示は良質だと思ったな。船というものを網羅的に見学者に知らしめる、という感じで、自分はお腹一杯でしたな。展示物そのものも、一見して「お金かかってるなぁー」というのが分る程で。
  • ま、ただ、色々な意味で、「昭和」の時代の科学館である、と思った。2011年の今の日本の船、はどんななの、というところが無かった気がするんだよね。
  • それこそ、屋外に推進装置が展示してあった超伝導推進のヤマト1*1から先、「現在」までがよくわからない、というか、どう展示して人々に示すべきか迷っている、みたいな。
  • で、並んで海に展示してある、宗谷、羊蹄丸へ。
  • 宗谷は、まぁ、こんな小さい船で南極まで極地探検に行ったってのが信じられない。素人考えながら自分ならもう二回り大きい船でないと不安な感じがする。しかし当時の人々はやってしまうんだよなー。
  • しかし、展示してあった船の経歴を見ると、波乱万丈と言ったところだな。
  • 建造時期の関係なのか、天井がかなり低い感じがした。
  • 羊蹄丸は、ぜひとも、鉄道貨車をそのまま飲み込んだという車輌甲板を見てみたかったのだが、内部はアミューズメント施設に改装されていて、往時の船内が残っている部分は無かったのではなかろうか。
  • ただ、そのアミューズメント施設、とりわけ、当時の青森駅函館駅か?)を再現した部分の作り込みは、えらい手間掛かってるなぁ、と。ディーゼルカーやら駅舎の一部やらと人形で、当時の空気を再現しようとしていたな。

そんなこんなで。
全体的にいい展示物だと思ったし、今まで寄ってみなかった事を残念に思う程なんだけど、しかし、やはり、(古臭いという意味合いでは無く)「昭和」の時代というか空気の影響が強い施設だったと思う。
科学館自体、自分は知らなかったのだけど、建設が1970年、開館1974年なので、高度成長期のピーク辺り、石油ショック直前直後くらいな訳で、まぁ、そうなる事もむべなるかな、と。
建設当時の資料見て、ああ、ここが「13号埋立地」なのか、とか、今でもあそこら辺は、(ここ5年くらいで埋まってきたけど、それでも)空き地の多い土地だけど、建設当時はそれこそ、埋立地の原野に、純白の巨大な船の形の建物がポツネンと屹立していたわけで、時代やら諸々を込みにした、当時の「風情」とはどんな物だったのだろう、とか思ったな、と。

*1:つか、何で日本人は船といえばヤマトなんだろうなぁ