なんか、

上のエントリで書いた、日本語版のジョブズ自伝の装丁デザインに関して、俺は書いた通り碌でもないと判断しているんだが、ネットを見るとアレを擁護してる人、結構いるのなー、と。



俺の目にした範囲では、「良いと『感じ』ました」とかさ、「良いと『思い』ます」とかさ、そういう感情レベルで語ってしまってるのが大半で、中には職業的にグラフィック・デザインに近しい人なんかもいたりするんだが、そんな「好き嫌い」の話してもしょうがないだろ、と。
町山のアニキの映画批評ではないけど、意匠も8割がたはロジックで詰める事が出来る筈なのな。
で、日本語版の装丁は、ロジカルに、ジョブスが関わったという原版の、コンセプトっていうか意志を汲み取るよりか、日本国内の販売事情を優先させてるよな、と。

  • 例えば、他の国の版では、オレンジなのか黄なのかゴールドなのか分らないが、フォントに色を付けたりしていない訳。
    で、色を付けるっていうのは「意味を持たせる」って事なんだが、一体、どういう意図を持って色を付けたのかな、と。
  • まさか、「原版のモノトーンて『寂しい』『感じ』よねぇ」なんて感情レベルで色入れたんじゃないだろうな。
  • フォントについて、原版および日本以外の版はセンター揃えなんだが。日本版は、左揃え、センター、右揃えでね、賑やかしい限りなんだが、その意図ってなんなんだろうね。
    原版がなんでセンター揃えにしたのかは、想像が付くけど。*1
  • まさか、「ちょっとスペース的に苦しいんだよねー」なんてレベルで…(ry。
  • あと、ベースラインていうのかな?題名、日本語題名、著者、巻、帯のキャッチのベースラインに注目すると、センター、右、左、右、と視線が流れて『しまう』ように振りまくってるんだが*2、その意図ってなんだろね。
    原版がなんで、ベースライン一本、しかもセンターで、また、ジョブスの写真が対称に近い構図になっているか、は、想像が付くけど。
  • まさか、「左右に視線振ってやったほうが、楽しいとかキャッチーだとか…(ry。
  • てか、日本版は営業上の都合なのか上下巻に分かれてるんだが。一番ぶったまげたのが、下巻て、上巻とか原版、他の国の版で「白バック」のところ、「黒バック」になってることで。
    当然、白の対としての「黒バック」って言うのには「意味」が発生するのだが、その意図ってどういう意図なんだろうね。原版がなんで白バックなのかは想像が付くけど。
    あら?もしかしたら原版も上下巻組で下巻は黒バックだったりするのかな?

スティーブ・ジョブズ II

  • まさか、「上下巻だから、白の反対はくro…(ry。

あと、「帯は外して判断しないと。自分は買ってすぐ外すし。」なんて、どんだけ感情レベルなんだよ、とかオモタな。
店頭で、客がまず目にするのは、帯付きの装丁だろ。この本はこういう本です、と、目にした客に説明せしめるのは店頭に並んでいる状態、つまり帯付きの状態でさ。内容のゲラさえ見なかったジョブスが、装丁だけには手を出したらしいのだが、だからこそ彼は装丁だけはチェックを入れたんじゃないのか。
そこを『思います』レベルで、「帯は無しで判断すべき」なんて、あまりに「無理くり擁護」で、俺なら恥ずかしくて言えないな。



とかなんとか。
読み返すと、なんか俺がMacヲタかなんかみたいな感じだな。けど、自分の触るコンピュータの中では、Apple関係はiPadだけなんだけどね。
仕事PCはWinだし、3DCGソフトはDOS上がりの3dsMAXだし、今この記事を書いているのはThinkPadだし。おまけに携帯すらWidowsMobileだしな。AdobeのアプリもAfterEffectsやPhotoshopなんて当然使うんだが、だからと言ってソレ用にMacを導入なんてしないしさ。


や、だから、意匠をただのデコレーションかなんかかと考えるか、否か、という所なんじゃないのかな、と。

*1:例えば、建築においては柱が、円柱なのか四角柱なのかで意味が違うんだぜー、なんてのは基本中の基本で。

*2:日本語題名と著者名のベースラインの高さに差を付けている所に出ている。