積読だった

小川一水の「第六大陸」を手に取る。
しばし読み進めて「うーん、だめだ。漏れ様にはこの文体は耐えられん」と投げ出す。つか、「老ヴォールト」とは意識して文体変えてると思ったんだけども。
古典的と笑われるかも知れないけど、自分は文体って「作家個人に固有」なイメージがあったんだけども、きょうびは掲載誌のターゲットとしている読者に合わせて文体をコントロールしてんのかなぁ、と。


で、アーサー・C・クラークの「楽園の泉」に切り替える。
うーん、このくらいの密度のある文体じゃないとな、と。ただ、所々に「察するところ、この日本文はこの英単語から来ているんだろうけども、その訳って「良い翻訳」じゃ無いんじゃないか」と思ってしまう部分*1があり、チト読みにくいな、と。

*1:例えば、文意としては山の頂を指してるのに「絶頂には」となってたり。多分、apexではないかと思うんだけど、普通に「頂上には」の方が良いんじゃない、とか。