シナ千代氏に

リンクされたみたいで。普段からはページビューが結構増えてるんですが。




で、シナトラ千代子氏のダイアリーで採り上げられたリンク先を見てみて、結構、「ボタンが付いてないのがどーの」とか「タッチパネルが汚れそうなのがどーの」とか「ケータイ押しが出来ないじゃん」とかの感想が多くて、チト驚き。




つか、自分のエントリでも取り上げたhttp://events.apple.com.edgesuite.net/j47d52oo/event/の「Watch iPhone Intorduction」を観ているかどうかで、反応も変わるかな、と。
ちなみに自分は静止画を何枚か見た他は、レポート記事とかもロクに読まずに、ジョブスのプレゼンを観たんだな。だから、ボタンとかパネルが汚れるとかの、「ケータイ的文化史観」と言うべき視点からのツッコミは思いも起さなかったんだろうなぁ、と。


とうのも、ムービーの4分前後くらいから、ジョブスが「既存のスマートフォン(≒ケータイ的な何か)」の「何」に対するアンチテーゼとして、iPhoneはデザインされたのかを、簡潔に語るんだけども。


革新的なUIとして「融通の効かないプラスチックの「固定」ボタンに対して、各ソフトに最適なUIを提供できるタッチスクリーン」を提供する、と。*1


つまりは、TreoとかBlackBerryとかケータイの「固定ボタン」を問題解決すべき「敵」として設定している訳で、ソレに対して「ボタンじゃない!」と突っ込み入れてもなぁ、と。


画面をタップするスタイラスも「出し入れしないといけないし、無くすし、良い事何もないやん!」と「敵認定」してる訳だ。だから、彼らにとっては「指」なんだな。


OSⅩについても「デスクトップクラスのソフトウェアをスマートフォン供給する」という目的が明らかにされている。




つまりはさ、アラン・ケイウォズニアックもBBCの記事で語ってるけど、スマートフォンとかケータイを使い倒して、彼らがどうにも我慢ならん事柄に対して、「挑戦する」デザインをしてるんだな。
だから、iPhoneが徹底してケータイらしくなくて、WindowsMobileらしくないのは、「いや、だって、そういう風にデザイン・設計してんだもん!」って訳でさ。




つかさ、W-ZERO3が出た時もそうだけどさ「ケータイ的じゃない!」っつーて「ダメ認定」なコメント見るとさ、自分にはそういうのがMachintoshが出た頃に、「DOSの方が速いし、リソース食わないし、キーボードで全て制御できるじゃん!GUIの何が良いんだよ?」っていう言説があった事を髣髴とさせるんだな。
ま、そういうことで、ケータイ的な「何か」がとても重要な人はケータイなり、WindowsMobileを使って幸せ、と。
で、ケータイのテンキーを目にも止らぬ速さで押して文章入力するのを見ると目眩がする、とか、WindowsMobileの「手抜きさ加減」に幻滅しているような人は、ぜひiPhone使ってください、と、そういう事ではないかと。

*1:ジョブスは同じような問題を、20年前にラスタ画面とマウスによるUIでパソコンを革新したことになぞらえて説明している。