んで、

飯食ってからの帰りしな、機動隊員によく似た紛らわしい服装をした右回りのオッサンが、通りの中央分離帯の真ん中に陣取って、デッカイ拡声マイクでガナっている訳だ。その内容は、最早政治的主張とは何の関係も無くて、ただの罵詈雑言でしかなく、聞くに堪えんもので。
で、警官がぐるりと取り囲んでいるんだけど、取り押さえたり『演説』を止めさせたりはしないのな。で、そんな調子が30分くらい続いていたんじゃないかな。俺は仕事があるんで家に帰りましたが。



でさ、学生の頃に受けた一般教養の法学の授業を思い出して。
その時は「ソ連大使館前に街宣車が乗り付けて、一時間街宣をした。警察は騒音防止法だかなんだかで、街宣車の男を取り押さえた」っていう新聞ベタ記事を示されて、教授いわく「この記事から読み取れることで、本来ならば「おかしい」事は何か」と。
で、教室の誰一人、おかしな点を指摘できる人はいなかったんだけども。
答えとしては、「警戒厳重なソ連大使館前で、1時間もの時間、街宣が放置(つまり、街宣の目的を果たしてしまっている)されているところに法律運用の恣意性が伺える。例えば同様に警戒厳重なアメリカ大使館前で、左翼が同様に拡声器でなにがしらの演説をすれば、即「逮捕」されるであろう」というもので。
思えば、ここで自分は文章の行間を読む、という事の重要性を学んだな、と。



今日の状況ならば、あの右回りのオッサンが立ってた現場から、通り2、3本しか離れていない◇○派本部から、仮に拡声器抱えた人間が一歩外に踏み出したならば、「転び公妨」でもカマされて即逮捕でしょうなぁ。



つまりはさ、役人が言う所の「や、法律がそうなってるからしょうがないんですよねぇ」みたいなのは9割方、方便、言い訳でしかないと自分は思っている。
ある国家がどのような内容の法律を整備しているか、ってのは重要ではあるのだけど、さらに重要なのは役人たちがソレらをどう運用しているか、って所にあるんじゃないかな。神は細部に宿る、ってな。
まぁ、あれよ、少し昔ではソ連、いま身近なところでは北朝鮮とかだって、制度上は「民主主義国家」な訳でね。外から見てりゃギャグか何かでしかないし、「中の人」だってそんなのお題目だとしか思ってないんじゃね、と。



つか、あのオッサン等、単純に五月蝿いんで、何とかしてもらえませんかね、ホントに。