iPhoneの

レビューとかが、未だにネット上を賑わせてる感じですが。



まぁ、自分が思ったよりも「ケータイっぽくなくて使えない!」的なコメントが、一般の人だけでなくライターさんの評でも多いなぁ、と。



んー、けどなぁ、自分は料金的なこととか機能的な面でiPhoneには行かずにPHSのままになるだろうと思うんだけど、それにしても「ケータイと同じに使えない!」ってな風にいきり立ってる方々のコメを見ていると、「えー、所謂ケータイっぽくなくて、カッコ良く感じたからiPhone買ったんじゃないのかな?」とか思ってしまうな、と。
そこで、ケータイと同じに使えてしまったら、iPhone買ってる意味が無いって言うか、ガワだけしか価値を感じない、って感じなのかなぁ、と。ドコモの偉いサンが、「うちもタッチパネル機出すから、無問題」みたいなコメ出して、いや、それは違うだろ、ってツッコミがネット上で見られたんですけど、そういう偉いサンの見方と同じなんだろうか、と。



つかさ、あまり裏付けの無い「感想」でしかないけどさ、こんところ日本の世間ってば、こう、チョッと変わったモノとかに対する許容度が、えらい低くなってないか、と。
iPhoneがケータイと同じに使えないとして、「へー、これってこんな風に使うのねー」位で良いんじゃないかと思うんだけどな、自分なんかは。そこら辺、人のコミュニケーションの様式とかの面でも許容度がえらい狭くなってる感じがするな、と。製品の開発でも、所謂「ネガ潰し」が先行して、他に無いウリを作り出す、ってのは二の次なのかな、とか。



まぁ、そんな風に色々と許容度の低い社会って、例えば創業時のグーグルみたいな、なんか新しいモノが出てきて新しい産業になったりする隙間というか、スペースが少なくなるよなぁ、と。
もう、真面目にコツコツと仕事して作った物が売れて、ってのは、中国やアジアの領分になっていると思うんだけど。もう日本て、キッチリ仕事して作ったモノに「+α」がないと、居場所が無い気がするんだけどな。
お客の不満を消していく、ってんじゃなくて、満足を創り出していかないとな、と。