あー、これは、、

自分には衝撃的だなぁ、と。
他に、荒川の花火とか、ロケットまつりとか、コミケとか、書きかけのダイアリーはあったんだけど、個人的にクリティカルだったんで、取り敢えずコレを。

町山智浩さんと歌舞伎町のBE-WAVEで
続・町山智浩さんと歌舞伎町のBE-WAVEで

いやね、歌人枡野浩一氏と町山のアニキが、枡野氏の「結婚失格」っていう著作について対談をしている、そんなストリーミングなんですが。



そのね、自分は今まで生きてきた中で、なーんか「世間」とか「くうき」とかそう言うのがよく分からんなー、みたいな感覚があったんだけど。
まぁ、そんな事、誰かが種明かししてくれるような問題ではないし、難しいもんですなぁ、日々コレをうっちゃる位しか無いのかなぁ、しかし「フツーの」人らはなんでああもフツーに生きられるのかな、と、自分には大げさともいえない程に「生きる上での謎」みたいなモノがずっとあったんだけどね。


で、上の対談なんだけどね、コレ見て、そこら辺の自身の抱える「謎」みたいなモンが「あ。分かった。」と。





多分、枡野氏が抱えてる問題ってのは、自分の抱えてる諸々の「困難さ」と共通する部分が大だなぁ、と。そして、そういう「困難さ」の原因は、自分も(そして、多分枡野氏も)何かぼんやりとは把握している、と。
しかし、あまりに漠然としていて*1、縁がぼやけていて掴み所が無いのを、町山氏が鉈でそのボヤケた部分をバンバン叩き切って、芯のコアの部分を切り出してくれた、そんな感じかな、と。
枡野氏は結婚や恋愛でその「困難さ」が表出したんだろうけど、自分は普段の人付き合いとか、あるいは仕事上の人間関係においてなんだよねー、と。


いや、まぁ、当然、上のストリーミングで出てくる枡野氏のディテールが、そのまま自分に当て嵌まるワケじゃない。パチンコ店でのエピソードとかは「ソレは自分には無いわー」って思うし、職業の性質も一部共通するけど大部分は異なるし。けど、

"町山智浩「正しいことを主張しても人は説得できない。人気がある人はみんな正しくない。アントニオ猪木を見ろ。何一つ正しくない(笑)」「正義を訴え続けると嫌われるんだよ。宅八郎を見ろ」"

コレですよ、コレ。
あるいは、

"町山智浩「(枡野氏に対して)『硬い』よねー。」"

とか。多分、コレなんだよな。
自分個人に関しては、世に言う「正しい」とか「合理的」「論理的」な行動が、もっと世間に通用すると誤解していた、って事なんだろうなぁ、と。いや、歳を経るごとに、当然自分も学習する訳で、その「世間」における「合理/感情」のボーダーはどんどん感情の割合が増える方向に修正してきた、んだけどさ。


でも実は、世の中って言うのは、もっと、ずっと感情ベースで動いている、と。


その際たるものは恋愛だし、仕事の場面でも「合う・合わない」ってのがあるのは、ソレでしょう、と。
恋愛って「魅力(町山的には性欲)」が相手に感じるかどうか、で決まる、と。
仕事だって同じよね、と。その場合の魅力ってのは、「値段」だったり「クオリティ」だったり「グロス受けできる」だったりもするけど、実は担当者と「馴れ合える」か、てのがかなり大きいんじゃないか、と近年は思っているんだよね


つまり「力関係」とも言えるな、と。力が弱い方(魅力を感じた方)が、強い方に支配される、と。そう言うもんだ、と。



で、自分はどうなのよ、というと、そこら辺、支配される/支配する、ってのは、自分は(理由があって)生理的にどちらも受け付けないのよねぇ。
どうしたモンですかね。
そんな、こんなな事をね、つらつらと考えたりする今日この頃。
まぁ、アレですな、色々と難しいですなぁ、と。

*1:当然だよね、日々の生活での言動や立居振る舞いを、「フツー」や「くうき」と照らし合わせて一々指摘してくれる他人なんて居ないからねぇ。