宇宙放射線について

宇宙開発ジャーナリズムの偉い人と、小説家と、元宇宙飛行士候補(?)のツイートまとめを読む。



なんか、小説家と元宇宙飛行士候補(?)は、自分の好きな分野の発展に水差す内容だからか、宇宙放射線に対する人体への影響に慎重に対処する、という態度や発言にエライ反発しとるなぁ、と。



特に、議論の後半で、やれ「画餅」という言葉遣いがどうのこうのとか、あるいは、しきりに「その説を言った人は誰ですか?」と、議論の当事者以外の名前を言えなどと元宇宙飛行士候補(?)がジャーナリスト氏に何度も強要する下りは、自分としては「わー、悪質なレトリックを弄するのなー」と。



特に、「ソレをいった人の名前を出せ!」なんつーのは、議論を進める上での卑怯手だと思うのよな。

  • まず、誰が言ったかどうかなどというのは、「論」そのものの正否には関係が無い。
  • 名前を言ったとする。
    • 言った方は、当事者でない人間を与り知らない議論の場に引きずり出した時点で、罪悪感が生じる。
    • 名前が出た時点で反論として「ああ、その人は信用の置けない人なんですよ」とかなんとか、その場の議論と関係の無い話に流れやすい。
    • しかも、発言者の信用度なんてどうやって量れるのだろうか。しかも、そこでの信用度のソースは反論者だしな。
    • まぁ、論点ズレの危険度大なんでね、誠実な議論を心掛けてる人は、まず使いません、こんな手法。
  • 名前を言わなかったとする。
    • 「あ、言えないんですか、ほーぉ」とかなんとか、論に関係ないにもかかわらず、要求に応えない事を指して、相手の発言自体の信用度があたかも落ちる様な「空気」を醸す事が出来る。

とかね、まぁ、議論を「オワコン」にする発言なんですな。実際、最後辺りで

ジャーナリストである以上教えられません。私の発言は、すべて私が責任を負います。

なんつージャーナリスト氏の、至極真っ当な発言の後の流れも、上に挙げたようになってしまってるしな。
途中までジャーナリスト氏が「誰が…」に対してガン無視なのは、そういうレトリックの危うさを分っていたから、なんだろうな、と。



だいたい、その場にいない人の事をあーだこーだ言うなんざ、碌でもない話よな。当事者全員が現場で見聞きしている事を、後で「や、実はあのときのアレはマズいと思うのよね」なんてのなら、まだしも。
だから、与り知らない出来事を大雑把に例示して、「だからあの人はドウ、コウだ。」なんてこと言う人の話は、眉に唾つけて聞く事にしてるな、自分は。少なくとも、細かいディテールまで説明しているか、もしくはネタになってる人からも話しを聞いていない限りは。



自分の対する人間が、茶飲み話であれギャラの交渉であれ、どういう「話の手法」を採るか。
ソレを注意深く観察する事で、人当たりの良し悪しとかに誤魔化されずに、相手を評価できるよな、と考えていて。
自分の場合、そういうのは特に仕事絡みの交渉事では役に立っていると思う。


まぁ、それに加えて、「腹芸」とか「ハッタリ」とか「空気読む」とか「馴れ合い」も出来たら、「零細」事業者を脱する事が出来るんだろうけど、そこら辺はカラッキシ駄目だからなぁ…(笑)。