昨日の夜、

CSのシネフィルイマジカで、アル・パチーノロバート・デ・ニーロの二人が主演の「ヒート」をやってた。
仕事で待機って言うか、そういう状況だったので、もう2、3回見ているんだけど、時間潰しに見てみた。




町山のアニキがアメリカの映画って画面の構図(アニメで言う所の「レイアウト」)が凄く良いんだよ、てな風にツイートしていたとか、CGアニメ作家のロマノフさんが、ベルセルクの今やってる予告編は、画面がシネスコなのにビスタのレイアウトだな、とか同じくツイートしていたのを見かけたので、ストーリーはもう知っているし、ってな訳で、改めて画面だけボーッと見ていた。
したらば、本当にこの「ヒート」は良く出来てるのな。


基本的には、登場人物は「カット・バック」を多用。この映画についてよく言われる事だけど、よって、アルパチーノ、デニーロが2人並んで画面に収まる事はないんじゃないのかな。*1
よって、これ、「立場の違う2人」を表している、と。
アルパチーノと奥さんの関係も、カットバック時は対立関係、終盤のある事件を境に、2人並んで同方向を見て一画面に納まる、と。


一々細かい事書かないけど、そうでないカットもね、レイアウト、レンズの選択、それぞれ、ちゃんと理由が伺えるのが、なんとも興味深い。


あとね、脚本と絵コンテというか、撮影時に「この台詞で、こっからコンな感じで撮るよ」みたいな指示が、役者さんの演技を引き出すのにバッチリな具合だったんじゃないのかな。
台詞に説明めいたモノは無いし、場面展開の割には台詞少な目、カットの尺長め、な感じがするのよね。だから、役者が「演技せざる得ない」撮り方になっていて、その演技をキッチリ撮りきってるよなぁ、と。
だから、それぞれの役者さんの表情の変化だけ見ていても、とても感心するし、次にどんな台詞を言うか考えながら見ていたら、「わー、そう来ますか、スゲーなー。」と。


やっぱり、1、2回見るだけだと、ストーリーを追ったり映画全体を楽しんでしまうから、見えてない部分が多いな。*2




でさ、「ヒート」の次に、同じ名俳優2人主演、しかも今度は警官の相棒関係の「ボーダー」を続けてやってたんで、見てみてんだが。


あ、いや、これは駄目だ。(汗
まず、脚本が駄目。あまりに思慮の足りない台詞でガックシ。
次にコンテも駄目。空間そのものもだし、空間の繋がりとか全く意識していないというか、此処でこのキャラは何でココから登場するの?てな風に首を傾げざる得ないカットのオンパレード。
あと、これは監督の領分なのかわかんないけど、シーンの“気分”がバラバラなのな。OPタイトルは「ミッドナイトラン」みたいな、少しお気軽な気分にさせられるんだけど、次のシーンでは「サイコサスペンス」風だし、その次は味付け不明だし。
自分は、あまりの駄目さ加減に10分で見るの止めてしまいました。*3




いやはや、この映画を「ヒート」の後に持ってくるのは、シネフィルイマジカの編成の中の人の、何かの悪戯なんじゃないか。
あるいはイマジカだからして、映画に興味ある人に対して何かの「教育効果」を狙ったりしたのかしらん、と勘ぐってしまうなぁ、と。
まぁ、自分に関しては、この2本が並んでいたお陰で、映画の出来/不出来について、凄くわかり易く、勉強になったんだけどね。

*1:故に、2人は完全に別撮りで、撮影時に顔を合わせてないのではないか、という噂なんてのもこの映画にはあるよね。

*2:完全に余談だけど、アルパチーノの義理の娘役って、ナタリー・ポートマンが演じてるのな。全然気が付いてなかったね。

*3:真面目に勉強するなら、全部見るべきなんですけどね、エエ。