へー。

去年の政府の原発事故の「収束宣言」で、なんか世間的には、「もう、終わった事」みたいな「くうき」になってるんだって?
なんか、放射性物質がどうなってる、こうなってる、って話を今するのは「くうき読めてない」みたいな?
チョイ予備知識のある俺なんかからしたら、事故現場で起こってる事の(イイカゲンな憶測ではなく)公式発表を眺めていても、「やー、どうやって始末付けるのか想像付かんな…」って感じなんだが。



いやいやいや、まぁ例えば東京都内とかで、夏でも長袖にマスクで過ごす、なんて必要は無いと俺は思うけど、広く散らばったCsとかがゴミの焼却灰や降雨によって集まる所とかは気を付ける、要監視というか、まぁ近付かない方がベターくらいには注意する必要はある、と思うんだけどな。
食い物なんかは、長期的に幅広く計測っていうか、ようやっと給食の検査体制が出来上がりつつある段階で、むしろこれから、なんだと思うんだけどな。


放射性物質がある/ないってのは、しっかり手順に則ってやれば、ある精度で計測できる、という、極めてシンプルで客観性が高い事象なんで、要は測るか/測らないか、でしかないのよね。
もっと言えば、ヤル気があるか/無いか、みたいな。



なーんか、いいかげんオッサンになってから長くなってるんだけど、世の中ってここまで「気分」とか「感情」で動くか、と驚かされる事が多いんだよねー、この所。
一回りして、仕事の現場でも、今までだったら「どうしてこう、上手く回らないかねー」なんて思ってた事が、「あ、目の前のこの人、実は感情的になってるだけじゃね?(顔色一つ変わってないけど)」と考えると、辻褄がピタリと合って「仕組みには」納得できる*1事が多いのよねー。


政府の「原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会」とか「原子力政策大綱策定会議」とか「コスト等検証委員会」でなされてる、推進側の議論の無茶苦茶さ加減なんかも考慮すると、まー、なんだろねー、もう10年位したらまた日本のどこかでドカンとやっちまうんじゃね?とか思うね。
東京は今朝もグラグラッと揺れたりしてるしね。

*1:結果には、決して納得はしていない(笑)。