昨日のエントリを

書いてからも、ツラツラそこら辺の事を考えていたり。

  • 後になって、「ミニチュアや着ぐるみ使った撮影はCGで作った映像に置き換えられ」みたいな文言って、じつはこの展示の企画側が設定した「煽り」だったんではないかと思ったり。まぁ、そういう藁人形というか、対立軸めいたものを置くと、一般人には展示の貴重さみたいなのが際立って分りやすい、みたいな。
  • だから、これは俺の邪推だけど、現場の中の人は案外「あー、今はもう面倒でやらなくなったけど、お蔵出しでイッチョ作ってみるかぁ」見たいなノリだったとしても、おかしくは無いな、と。
  • 俺は個人零細なCG屋なんでアテにはならんけど、CGで作った方がいいカット、逆にミニチュアで作った方が早くてクオリティが出るカットって、厳然としてあると思うんだよねぇ。都市を俯瞰するようなスケールならマットペイント+CGIだろうけど、あるスケールとか、あるカメラアングルとか、壊して煙と炎が上がるとか、ミニチュアの方が良い場面て沢山有ると思うんだけど、どうだろ。
  • つか、俺自身、仕事していて「あー、ガレージ程度の作業場欲しいなぁ」なんて思う事が時々あるからねぇ。何も特撮屋さんみたいなミニチュアを作ろう、って訳でなくて、チョッとした物を作って燃やしたり壊してみたり、インクを飛ばしてみたりするだけで、かなりクオリティ上がるんだけどなぁ、とか思ったりする事が有るのよね。

とまぁ、ソンなコンなを思ったりする訳だけど、ここで前回の文末につなげると、じゃあ「特撮」ってものが確立してしまっている業界で、建物の壊し方にしろスーツの仕組みにしろ、「新しい事」って出来るのだろうか、とか思ったりもするんだよね。



いや、「こんな風にしてくれ」っていう明確なオーダーが出れば、プロなんだから当然ソレに向かって努力する訳だけど、無ければ以前からある手法を踏襲するのは、職業人として当たり前だよなぁ、と。
自主的に新しい試みを入れても、評価する側が従前のイメージに引きずられてNGを出す、なんて事も予想出来るからね。



これは別に特撮だけでなく、アニメもそうだと思うんだよね。
例えば新海誠氏が「ほしのこえ」辺りで”衝撃的な”デビューをしても、だからと言ってアニメ業界の本流の制作体制で、例えば監督をするとか、ってのは能力的に、では無くて「ポジション的に嵌らない」という意味で、チョッと無理だったんだろうな、と俺は思うんだな。
当時DoGA周辺の人が、「あんなに能力ある人なのに、エロゲのOPしか仕事のオファーが無いなんて」みたいな嘆きというかコメントが出ていた記憶があるな。相当昔なんで、ちょっとソースは今となっては示せないけど。
まぁ、だけど、この論がそんなに間違っていないんじゃないかと思うのは、岡田斗司夫氏と赤井孝美氏の対談でこんな話が出ているんだな

赤井「こいつすごい天才だなって思ったら雇いますけど、ただ――例えばまだ無名だった頃の新海誠さんが来たとするじゃないですか。『こいつすげえ!』と思いますよね?
ただ、こいつにやらせる仕事がない、ってなりますよね」

岡田「ああっ!あるある!」

赤井「つまり現時点のGAINAXで、テレビアニメもああして作ってるわけじゃないですか。
テレビアニメって、要は『テレビアニメの作り方』っていう大きなシステムがあって、歯車があって、その歯車に乗れるかどうか、その適性があるかどうかであって、自分でアニメとか作っちゃうような人はもしかしたら向かないかもしれない」

【レポート】【赤井孝美対談】無名時代の新海誠を、ガイナックスは新卒採用でとれない - FREEexなう。

まぁ、つまり、単純に成果を出したり、成果が出る手法を提供できたりしても、業界に嵌れるかどうか、ってのが大きい、と。システムを崩して新しい何かを挟む、ってのはシステムの主要メンバーが全員それに賛同していない限り無理筋なのよね、と。
だから新海氏は、アニメの本職の原画マンが参加していたとしても、「新海システム」を作ってアニメ制作する事になったんじゃないかしら、と。
あ、いや、現実はもっと複雑に諸事情やタイミングが絡み合って動いている物なので、単純化し過ぎてはいるんだろうけど。



で、特撮の話ならば、諸々雑多なジャンルの仕事で俺みたいな個人零細が、個人的に実物を壊したり燃やしたりして、納品素材にCGと混じってコソッと挟み込んでおく事は全然可能。素材が行って戻ってする事も無いし。
じゃあ、特撮っていうジャンルのシステムの中で、本職のミニチュア屋さんがチョッと大掛かりに新しい事をしてみる、とする。そすると、段取りが途端に読めなくなってしまうだろうなぁ、と。
場所の占有時間とか、撮影さんの拘束時間とか、仕掛けにNGが出たときどんだけ時間が押すか、スーツアクターが新方式に慣れるまでどんだけ時間が掛かるか、とか。特に他の作業パートには迷惑掛けれないだろうから、まぁ、自主的に何かする、ってのは殆ど無理なのかなぁ、とか思ったりしたな。
いや、新しい事をする、ってのが方針としてオーソライズされてるなら別だろうけどね。*1



まぁ、ただ、特撮っていうか映画界っていうかの、「しきたり」っていうか「くうき」の縛りは、日本という国らしくかなり強いんだろうなぁ、とは思う。
CGIが映画に入っていく頃って、実写界と顔馴染みとかツテがないと、話通すにも、どこに話しもって行ったらいいかすら分らない、みたいな感じに俺には見えたからなぁ。(今はさすがに風通しは良くなってるだろうけど)



あと、アニメ業界は、多分制作時間や予算のタイトさで、逆にシステム自体がガラガラと変わっているみたいなんだけどね。

自分の演出話数のタイムシート作り終了〜。しかしなあ……いつから演出がシート作るってことになったんだろう。シートを作るのは原画の仕事で、演出はそれをチェックするのが仕事だったはずなのになあ……。

junkamiya 2012/11/08 01:46:51

アニメ監督・神谷純氏、変容した現在のアニメ制作システムについて語る - Togetter


上は、自分が参考になるってんで購読させてもらってるアニメの監督さんのツイートまとめから。
まぁ、これはどちらかと言うと後ろ向きな感じで、変化しているみたいなんだけどね。
ただ、映像作りって意味においては、アニメの方が新しい事は色々やり易い感じはする。制作過程が、撮影現場に多くのパートが集まって作業する、のではなく、作業パート間の手離れが良い、そんな工程になってる事とか、上記の演出/原画間の作業割り振りが変わってしまっても、チェックも多段だし、本当に不味ければ原画動画の修正、タイムシートの打ち直し、色々修正は入れれるだろうから。
(ただ、「変え易く」はあるけど、上記の様な変化は制作体制として良い方向への変化なのか、ってのは別問題)



まぁ、けど、特撮にせよアニメにせよ、製作や制作サイドの事情でなく、作り手の「チョッとやってみよう」的なモノがもっと入れ易くなればいいと思うけどね。
そこら辺、自由度が少ないと、昨日のエントリで挙げた様なyoutubeのムービー見て「もうチョッと出来る事あるよなぁ…」なんて思わされてしまう事になるんではなかろか、と。

*1:あ、そう言えば樋口真嗣監督って、メイキングなんかで御自ら煙素材とか埃素材の撮影を指揮している様が載ってたりするんだけど、自分でやるってのはそういう事だったりするのかしら。自分でやった方が取り回しが軽くて楽、みたいな。