色々切羽詰っていたりもするんだが、

キングスマン』を観てきた。


予告編が良く出来ていたしね*1。なんせ、俺的には「裏切りのサーカス」「英国王のスピーチ」で(世間的な意味での)“情けない男”を演じたイメージが強いコリン・ファースが、こんどは本来の意味での英国紳士然としたアクション・スパイを演じるってんだから、観るべきだコレは、と思ったのよね。





で、観てきたんですが。
うん、面白かったね。



ネット上では、「マッドマックス-怒りのデスロード- と違って、純粋なバカ映画」とかって評も見掛けたんだけど、俺からしたら、そうかぁ?ホントかぁ?、とか思ったり。



自分は、作り手の、本音と言うか、世の中に対する見方なんかが色濃く脚本なんかに現れているんじゃないかと、そんな風に思いながら見ていたんだけどね。
また、ちょっとコンテや編集辺りが下手って言うか、ダサ風味だなぁ、とも思って。
観ながら、このカット余計だな、ここのカットはカメラはこう据えた方がいいんじゃね?とか思ってしまったり。
でも、劇中で80年代辺りまでの能天気なスパイ・アクション映画に対するリスペクトを示す台詞がテンコ盛りなんで、「コレはワザと少し古臭い、ちょいチープな映像を狙っての事なのか?とか思ったり。*2



そう思いながら、家帰ってからWikipediaなんかで調べてみると、あー監督さんって「キック・アス」の監督さんなのか…。


ちょいダサ目な映像なのは了解した。(ヲイ
マーク・ストロング演じるところのマーリンの、正面カットの連続は役者さんも演じ難いんじゃないかと思ったほど。
アクションは、「スナッチ」に始まり「キックアス」のラストで素晴らしかった、「カメラが移動するアクションシーン」が更に進化して、進化し過ぎてカメラ動かしすぎた感が。
もう少し、溜めのカット、余韻のカットが欲しかったなぁ、クライマックスの敵との格闘シーンは。


また、スプラッタ的に人が死んでいくのも下品で、ああ、さすが「キック・アス」シリーズで当てた監督さん・脚本さんだな、と。




でもね、だからと言って詰まんない、とは思わなかったな。


まず、そのクライマックスで主人公と戦う敵役の、ソフィア・ブテラ演じるところのガゼルのキャラ造形が素晴らしい。
両足義足(しかも仕込み剣付き)の殺し屋なんて今まで無かったン違うか。当然、アクション自体も目新しいものになるんで、楽しめたねぇ。カッコいい、美しい、で残酷。三拍子揃ってましたな。
そういや、なんか、(似ていると言う意味ではなく) 高橋慶太郎の漫画に出てきそうなキャラと思ったりしたんですけど。


コリン・ファースの役所も良かったっすな。「ハリー・ハート」についてのプロットが良い。自分ならもう少しコブシを利かせて、クライマックスに復讐劇とか、主人公のロールモデル乗り越えとか、の要素を強く出すけど、まぁ、それはソレで。
あ、そうそう、あのマーク・ハミルさんも出てますよ!




あとね、やっぱしプロットは良く出来てると思うのよ。作り手が世の中を良く見て、彼等が思った事、考えた事が作品に反映していると思うのよね。
それは、この作品で、どんな奴等が死んでいって、どんな人等が生き残るのか、戦っていくのか、を考えると明らかだと思うのよね。
「キックアス」はそこら辺、分かり易いキャラ立てになっていて、まぁ昔からあるオーソドックスな悪役で、オーソドックスな死に方をするんですな。
その点、今作品は、悪役の側としてどういった人等が死ぬのか。(サミュエル・L・ジャクソンソフィア・ブテラだけじゃないですよね、死ぬのは。)そして、どういった人等が、どういった行動の結果、生き残るのか*3
また、劇中「ハリー・ハート」が「マナーが人を作る Manners Maketh Man」とキメ台詞的に言うが、同時に上司の、英国エスタブリッシュメントのイメージの権化ともいえるマイケル・ケインに「スノビッシュ」と言ってのける。
悪役ボスのヴァレンタイン(サミュエル・L・ジャクソン)が、血が苦手、殺しは初心者、自分が直接に大量殺人の手を下すのでは無い、ってのも特徴的だよね。*4




なんかね、ここら辺の構造は「マッドマックス-怒りのデスロード-」でも見られて、それは例えば敵役が「水利権を支配する者*5、銃(軍事)を支配する者、石油(ファッション的には資本家)を支配する者」の3つにワザワザ分解してあった事。
これまでのこの手の映画なら、主人公たちが逃げていった先にオアシス的何かがあって、助かる、といった筋立てが多かったのを、「そうじゃない、俺たちが居た/居るところに戻っていって、居場所を自分たちの手に取り戻すのだ」といった筋立てにしている所に現れていると思うのな。
そいで、マッドマックスは、キングスマンよりか映像的に演出的にスタイリッシュに仕上げてある、と。




あ、同じテイストは「イリジウム」にも感じたね。
劇の敵役が、防衛長官デラコート(ジョディ・フォスター)、クルーガー(シャールト・コプリー)の2人に集約しても作劇はでき(筈であ)るところ、カーライル、パテル総裁、イリジウムのコントロールルームで「イリジウムに乗り込んでくる難民」が「撃墜」された瞬間に痛嘆の声を上げる“無名の人々”、に、何故分けたのか。
ほんで、映像的には「真面目」な作りになっているので、マッドマックスの様に引き込まれたり、キングスマンみたいに「バカっぽいなぁゲラゲラ」てな風では無かったな、と。(や、プロダクト・デザインは近年稀に見る素晴らしさと思いますよ。自分はムック本の類は買わない主義なんだけど、「イリジウム」のプロダクトデザイン本は買いましたよ、エエ。)




もう、一つ。
キングスマンは、バカっぽい作りになっているんでソレに誤魔化されてるのか見掛けていないけど、イリジウムの時はあのラストに「救われた貧乏人のおかげで、あの世界の地球は破綻するだろう」と呟く科学漫画で有名な漫画家さんとか、マッドマックスでは、意識高い系のビジネスマンだか経営者だかが「ラストでクレーンで上っていった女性たちの集団指導体制になるのだろうが、そんなの絶対上手く行きっこない」なんつー呟きを見かけた覚えがあるんだが。
そんな「劇後に何が起こるのか」なんて両作品とも台詞も映像表現も隠喩も、無かったと思うんだが、ああいう人達は何をトリガーにそんな風な感想を思い浮かべたんだろうなぁ、と。や、あくまで俺が関心あるのはトリガーですよ、トリガー。

*1:自分は予告編が面白いと感じれるかどうかは、良く出来ている映画の必要条件だと勝手に思っている。

*2:冒頭カットなんかCGのアレをもう少しホゲホゲした素材を用意しろよ、なんて思ったり。

*3:終盤で主人公がシャンパン片手に会いに行きますな

*4:まぁ、人類ウイルス説のガイア理論、なんてのは手垢が付くほどだけども。

*5:コレの何が問題なのかは「水利権 民営化」ででもググって頂ければ。