面白い作品である(?)

 表題とは矛盾しますが、作品の構成は、話のスジが追いにくい物になっています。ですんで、試写会のとき「こんな人、押井作品を観にきて大丈夫か?」と思わずにいられなかったお子様たち、オバサマたちは案の定、あくび連発、つまんなそーでした。

なぜか?



 作品として「王道」を目指していない、「予習して無い(するはずも無い)人」「SF的な素養の無い人」には筋を追うのはかなり困難なストーリーだからと思います。

 ほとんど全ての作品に言える事だと思うのですが、押井作品は「予習を要求する」作品ではないかと思います。劇パトビューティフルドリーマー、犬狼シリーズなど、原作、キャラクター、作品背景を知っていなければ楽しめないのではないかと。
そして、今作は、その予習が前作よりも要求されると思います。更に言えば、作品の結末まで(!)予習する必要があるのではないかと思います。

例えば、一連のプロモーションがターゲットにしている、「予習をしていない人」にクライマックスでバトーと共に戦っていたのは誰なのか、お話の中でどういうポジションに位置するキャラクタなのか説明できる人はいるんでしょうか?

末端とはいえ、一応、コンテンツ制作側に立つスウプとしては、「売り物」としての作品が、そしてああいうプロモーションをしている作品が、観客にそこまで高いハードルを課すのはどうなんだろう、と、「余計なお世話」もしてみたくなるのです。



 じゃあ、お話の筋を理解でた人は、面白く思うのか、と言うと、そうとも言い切れないんです。

 自分は士郎正宗ファンなので、原作(と、欄外の脚注(笑))、前作の「ゴーストインザシェル」を見ているので、お話のタネは理解しながら鑑賞できたわけです。

 でも、それなりに予習をしている人間でも、例を挙げると、バトーとトグサがどうしていきなりキムを北端で探し始めるのか理由分からなかったりする訳です。仮に「バトーの電脳にハッキングできるのはキムぐらいしかいないから」という理由にしても、舞台が北端に移る前に、その伏線が張られていないように思うのですが…

 また、クライマックス近くガイノイドは、ロクス・ソルス社の警備員、バトー、素子の双方を攻撃する。素子以外のガイノイドを起動させたのは誰になるのか?2回目でも気を付けて観ていたのですが、結局分からず…。



 加えて、観客にお話の筋を追わせる事を(意図的に?)妨げるようなカットの繋げ方、場面の繋げ方をしているように思われます。
 例えば、「ガイノイドがオーナーを襲う事件」が「連続して起こる」事から9課が動き始め、やがて検査部長が殺害される訳ですが、「オーナーが襲われるシーン」が無い為スウプにはこの作品のお話を動かす「動機」の印象が薄いです。分かりやすく組み立てるなら、「オーナーが襲われるシーン」→「冒頭シーン」→「捜査会議で背景説明」→「ロクス・ソルス社検査部長が殺される」とか。
 「検査部長の殺され方」が冒頭の「ガイノイドの犯罪」と繋がり易い印象を受けてしまうので、場面の分離がし難い。もっとシンプル(笑)な殺され方が分かり易いのでは?

 (下書きを書いているとき、ここまで書いていて気がついたのですが、原作では以上のような話の流れになってますね。検査部長のシンプルな殺され方とか。だから、「無理やり原作から離れるために話を追い難くしたのか?」と勘ぐってみたり…)

 カットの繋げ方について言えば、例えば、「バトーが情報屋からキムについて聞き出す→「その後ろでトグサが壁に書かれた漢詩(?)を眺めて呆然とする」→「オブジェの前にたたずむバトー、トグサ」…。スウプは「トグサが壁に書かれた漢詩を見る」カットは話の流れの中で「いきなり流れを変える」インパクトとなったので、「オブジェの前にたたずむバトー、トグサ」はどこにいるのか分かりにくかったです。
 「トグサが壁に書かれた漢詩(?)を眺めて呆然としている」→「その後ろでバトーが情報屋を絞めている」→「(オブジェの前でなく)キムの屋敷を前にたたずむバトー、トグサ」なら分かりやすそうですが…

etc、etc…